【第38回】韓国の智異山・青鶴洞で自然体験を通して礼節や伝統を学ぶ書堂
執筆者: 山岡 テイ(情報教育研究所所長)
東アジアの儒教文化圏の中でも、とりわけ韓国では「儒教の教え」が、毎日の生活や子育てにも根づいていると言われています。実際に韓国を訪れるたびに、年長者を敬う所作や礼儀を感じることがたびたびありました。韓国では、そのようなしつけや礼節教育を家庭や園・学校の他にも、合宿して集中的に教育している機関があります。
そこで、今回は、山深い智異山(チリ山)の自然環境の中で、礼節や漢文など伝統教育を体験学習させる書堂(ソダン)を訪ねて、その教育の様子をご紹介します。
☆生活の中で生き続ける儒教の教え
智異山には儒教の礼節を伝統的な教育法を通して教えている私塾があることを以前から聞いており、ぜひ一度訪ねたいと思っていました。智異山は韓国の国立公園で、その中でも「青鶴洞」は慶尚南道の河東郡に位置し、現在は45世帯で住民はおよそ100人です。
理想郷のような山間の村としても有名で、昔ながらの石を積み上げた塀や土塀の伝統的な家屋形式を残す農家が点在しています。村に電気が引かれるようになったのは、つい数十年前というように、ここで暮らす人々は自然と共存しながら生活してきたわけです。
そして、全国的に青鶴洞の知名度を上げたのは、自然豊かな山懐に抱かれたこの地で、伝統文化や礼節、武術などの体験教育を儒教の教えを支柱にして学べる「書堂(ソダン)」の存在です。現代の家庭生活の中では、失われつつある伝統教育や自然体験をさせたいと、この地へ子ども達を送る都市部の親や学校が急増したことがあげられます。そして、韓国の多くのメディアが報道をして拍車をかけました。
じつは、私も昨年の11月にNHKのテレビで「プラネットベービーズ」という世界の子育てを紹介する番組に出演して、この青鶴洞の書堂についてコメントをしました。
タイトルは「韓国 親を敬う心を育てる」でした。NHKの制作側が番組ホームページ上で、告知した内容案内を以下にご紹介します。
“儒教文化が根強く残る韓国の子育てはまず親に感謝し、敬う心を身につけさせることから始まります。さらには祖先や目上の人たちを敬うよう教えられます。その敬う気持ちを行動として示す “礼儀”が大切とされ、礼儀も知らない若者は韓国社会で一人前とは見なされません。”
“今回はそんな韓国の伝統的な村の家族を見つめます。この村にはソダンと呼ばれる寺子屋が あり、伝統教育が受け継がれています。小学校1年生のソルちゃん(7歳)は3人兄弟の長女。 彼女は初めてソダンに通い始めますが…そこに至るまでには数々の葛藤(かっとう)がありました。長女の子育てを巡り奮闘する家族に密着しました。”
この番組では、書堂の紹介と言うよりは、村長でもある梁先生ご一家の子育てをクローズアップしてまとめていました。
その中でも、私が個人的に印象に残ったシーンは、番組の最後に皆でお墓参りに行く様子です。チジミを一族で分かち合いながら食べて、親族全員がお墓に深々と頭をつけてお辞儀をして先祖を祭っていました。この地域では、昔から仏教に儒教や道教が融合された宗教や韓国で始祖といわれる「檀君」崇拝も受け継いでいる歴史的な背景があると聞きました。
日本では「儒教の教え」というと、親や年長者に対する礼儀や感謝の気持ちを表す「礼」・「義」・「仁」など「道徳やマナー」の規範意識をイメージすることが一般的です。
韓国でも、日本と同じような受け止めかたもあるようですし、儒教は思想か宗教かという論議がどこの国でもあります。この一家のお墓参りを見ると、親や祖先を敬う態度や行動に形と魂が込められており、宗教行為としての儒教の一面が伝わってきました。
さらに、日本に比べて韓国のほうが、たとえ個々人が異なった宗教観を抱く中でも、儒教思想に象徴される「敬いや思いやりの心や態度」が、子ども達に生き続けていくことを願う親が多いように感じます。園や家庭でのしつけや教育の中で、「人性教育(人間性教育)」を筆頭にあげる韓国ならではの宗派を超えた倫理観や道徳観の源流背景になっているのかもしれません。
☆青鶴洞の「青林書堂」に集まる大勢の参加者
青鶴洞への道のりは遠くて、まず、8月14日に釜山空港から智異山の麓に泊まり、翌朝、道を尋ねながら車で登って行きました。翌15日は日本では終戦記念日ですが、韓国では「光復節」と呼ばれる植民地解放の記念日で3連休の最終日でした。韓国はどこへ行っても日本と変わらないかそれ以上の交通渋滞ですので、前日から迂回をしながら智異山を目ざしました。
山道を登りつめると「青林書堂」の入り口がありました。早速、梁仁錫理事長先生に施設をご案内していただきました。この書堂は13年前に開設されたそうですが、村の中では最初の施設で、唯一の社団法人組織です。現在は、ここも含めて10カ所の書堂があります。その内、研修所が5カ所で、小規模な書堂が5カ所です。
人口100人という村に、年間で何万人という人達が「書堂」へ研修のために訪れます。この「青林書堂」だけでも年に5000人が合宿してさまざまなコースを体験しています。
夏休みに個人で参加申込みをする子どもの他に学校など団体で申し込む場合あります。また、年齢は幼児から大学生まで幅広く、社会人や企業の研修コースもあるようです。
智異山・青林書堂の入り口 | 施設は通りを隔てた山側にも点在 |
山の傾斜を活かした敷地に数々の施設 | 漢文の講義中。白い韓服姿の李康宇先生 |
「四字小學」を自分の前に置き各自で音読 | 自然に恵まれた環境の中で学ぶ |
参加日程ですが、期間は、1泊2日から2泊3日、3泊4日、4泊5日コースの他に、1週間から4週間までの長期間のプランも用意されています。また、不登校や自閉傾向、ADHDなどの子どもが長期滞在している場合もあるようです。いろいろな個性の子ども達が訪れますが、先生がたは経験を生かして個別に対応しているようです。その子のペースに合わせて工夫しながら、教科学習ではなくて、自然豊かな環境で生活体験学習の実践が子ども達を元気にするのでしょう。
☆身体感覚学習を中心にした多彩な教育プログラム
2泊3日のスケジュールをご紹介します。
教育目標として、4項目が掲げられています。
1つ目は「礼節教育」です。基本的な生活習慣を正しくして整理整頓する力を養います。立ち振る舞いを含めて、正しい姿勢での座り方や目上の人に対する礼儀や挨拶のし方を学びます。周りの人に思いやりをもち、謙譲語や尊敬語などの言葉づかいを対人関係で使い分けることを身体感覚として習得します。具体的には目上の人へのお礼のし方や手の組み方など、基本的な作法(マナー)を学ぶこと、まずは「形」から入って行きます。
2つ目は「人性教育」です。自分自身と親の大切さを実感できるようにします。隣人を愛して、他の人の立場を理解できる思いやりの心を育てるための所作や作法を学びます。知恵と勇気をもって生活することが自信を育てることになります。いま生きている自分を大切にすることは、他の人を愛して大切にすることにつながります。具体的には、毎日の生活リズムや団体生活と自分自身を見つめることや茶道、伝統遊びなどを通して育むようです。
3つ目は「漢文教育」です。古典を通した学習は音読を繰り返し行うことで、漢文の教えを深く理解して自分の糧にすることができます。リズミカルな反復暗唱によって、漢文に対する違和感を克服して、自然に親しみをもつことができるようになります。ここでは、漢文の時間には、写真にある「四字小學」というオリジナル教科書を使っています。いわゆる「四書五経」に始まり、十二支や数の単位(百・千・萬・億・兆・京・垓・・・・)、家系図で自己から孫、祖先は祖父母・曾祖父母・高祖父母・五代祖までなど、多様な漢字や漢詩、教訓などの解釈を聞いた上で音読・暗唱していきます。
1週間のプログラムで参加していた子ども達に「漢文」を教えていた李康宇先生に、お話を伺いました。「自分は大学で漢文学を専攻していましたし、子どもが好きなので書堂の仕事には生きがいを感じています。一般の学校では学べないことを、体験しながら多くの教えを身につけていけるのがここの特徴です」と、白い伝統韓服(ハンボク)を着て、講堂でも外でも教えていました。
4つ目は「瞑想教育」です。私達の身体は大きな感覚のメカニズムであり、すべての感覚を融合したシステムです。体全体の隅々まで細胞は生きていて、それらが全体として調和を保たれることで、最大の効果が発揮できるのです。身体感覚への意識を高めて瞑想によって精神統一するのは、禅寺での修行のように講堂や縁側で行う他にも、自然の林の中ですることもあるようです。韓国では、ここ以外でも、過去に幼稚園で園児に瞑想の時間がある所を何園か見かけました。
この書堂では、上記した内容とも重なりますが、「人性・礼節・漢文・伝統・体験」を教育哲学の基本としています。たとえ、短期間の滞在であっても、いままでの日常とまったく違う学びができる自然体験教室という側面が人気の秘密かもしれません。
足球はみんな大好きなスポーツ | 敷地の中には民族博物館や陶芸施設なども |
建築専攻の梁仁錫先生が設計し建てた民族博物館 | 美術工芸品から伝統的調度品まで幅広い収集 |
☆「温故知新」が「村おこし」へ発展
梁理事長先生は、この書堂の他に、「檀天」という伝統武術作法学校の理事長も兼任しています。夏休み以外には、梁先生が武道を教えることもあるそうです。前述したように、この青鶴洞の村長もなさっています。弟さんは陶芸を子ども達に教えており、一族で活動を担っているようです。
以前にはこの村は100世帯も住んでいる時期もあったそうですが、若い層は都会へ進学や就職で村を離れて行き、現在は60代~70代が中心年齢層です。梁先生は自分が生まれ育ったこの地で村おこしを願い、13年前に歴史的にも伝統がある「書堂」を始めました。近年は、ハイキングや団体の観光客も増えており、30代~40代層住民のふるさとリターン現象も出てきているそうです。
最初は、親や学校から勧められて参加した子ども達が、また、つぎの休みには自分から進んで再度訪れるリピーターが多いようで、子ども達が帰宅後に、まず母親から感謝の電話が入ることもしばしばとか。実際のところ数日間の書堂生活を送っても、元の生活に戻ると、記憶が薄れていくのが現実です。しかし、心の片隅にでも楽しかった体験として長い間残っている子どももいるのではないでしょうか。
個性的な子ども達が来ても、スタッフの先生の中には心理相談を勉強した人もおり、子どもの気質を的確に捉えて、無理がない生活がここで送れるようにしているようです。元気いっぱいの子ども達にとっては、書堂の中だけが学びの場ではなくて、身体を使って自然体験ができるいろいろなイベントやアウトドア・スポーツが楽しめる企画が揃っていました。
この青林書堂の訓長は、雅号が松園李康漢といわれる方です。彼は、韓国書堂教育協議会常任顧問の他にも多くの要職を兼任なさっており、長年にわたって書堂の普及や伝承に携わってこられて、83歳の現在も、開講式で訓話をなさっています。いわば、この青鶴洞の書堂を代表する象徴的な存在でもあります。
手作りの農園が広がる・・野兎も食事中 | 書堂の李康漢訓長は象徴的な存在 |
長いおひげを蓄えて白いハンボク着衣で杖を持っているお姿は、まるで仙人のようでした。訓長先生が今の母親達に一番お話したいのは、「毎日の結婚生活を大事にして欲しい」ということです。何故なら、韓国の離婚率が高いのは夫婦間の危機的な問題であって、自己中心的な親の態度は子ども達の教育にも大きな影を残すことになるからです。加えて、自分の夫を愛して結婚したときのように、「夫を心から勇気づけて内助の功を行うこと」が、いまほど必要とされている時はないとも言われていました。 さらに、「儒教は、生きている間に目上の人、親や祖父母を大事にすること、自分の周りの人との「友愛」を大切に育てていくこと、つまり「人性教育」を教えています。人は五常(仁・義・礼・智・信)を備えて生まれてくるが、大人になるにつれて失われるので、他の人を大切にして、また自分を大切にして生きることが道徳の本質であり、教育の真髄であることを忘れないようにしたいものです」訓長は淡々と語ってくれました。
梁先生に青鶴洞の村長としてのビジョンを伺うと、彼はまず、「温故知新」という言葉を即答しました。「自分が生まれ育ったこの村は、昔は貧しくて食べることすらやっとの生活でした。いまは逆に、ここの昔ながらの伝統を守りながら、未来を形成するつぎの世代に文化的な精神を伝承していくことが自分達の使命だと思っています」と、伝統文化財の保存や農業をしながら教育事業を着々と進めている彼らしい発言でした。
「儒教精神」というと、その徳性面を見るよりも男尊女卑の思想で上司や師への滅私奉公という捉え方で反感を抱く立場もあるようです。 韓国国内にはいろいろな規模や形態の「書堂」が存在しますが、青鶴洞の書堂は自然環境を活かして、心身での体験学習の基本として漢文による「儒教の教え」を導入している印象を受けました。
私は、多様な「similarities and differences」を意識しながら、いつも訪れる国々の子育ての特殊性と日本との共通点を探し続けています。学校で習う漢文教育とは異なり、「書堂」は儒教文化圏の中での伝統的な私塾のひとつのあり方として興味深い教育法だと思いました。