【第34回】時がゆっくり進むフィンランド・カンガスニーミの学校と生活
執筆者: 山岡 テイ(情報教育研究所所長)
前回はフィンランドでの出産育児支援や人口58万人の首都ヘルシンキの保育所事情をレポートしました。今回はヘルシンキから250㎞ほど北上して人口6,000人余りのカンガスニーミという町に住む友人の家を拠点にして、地域の基礎学校・保育所・学童保育などを訪れた様子をお伝えします。
☆少人数で目が行き届く学び舎
フィンランドでは7歳で就学して9年間の基礎学校へ通います。訪問したカンガスニーミの基礎学校は、3カ所の地域に分かれていました。0~2年生はカリオラン校、3~6年生のベッケリン校(同じ施設内にプイストン校:養護学校)に7~9年生のカンカイステン校の3校がありました。生徒数は1年生から9年生まで総勢450人です。日本の制度で言うと、小学校が低学年と高学年の2校で別の場所に分かれており、中学校も独立した建物にある感じでした。
- Kalliolan koulu: http://www.peda.net/en/portal/kangasniemi/kalliola
最初に、プリスクールから1・2年生が通うカリオラン校を訪問しました。2クラスずつで総数83名です。教員は3校の基礎学校の総校長を兼ねるミカ・フォーヴィネン先生を含めて7人の他に2人の補助教員と言語治療士でもある養護教員で構成されています。クラス規模は他の地域に比べて少ないほうです。
低学年が通うカリオラン校 | 2年生の教室で先生が2人 |
滞在中に3校を訪問しましたが、低学年のカリオラン校へは連日通って参観させてもらいました。ここの始業時間は朝8時からで45分授業です。2年生は月~金曜日の中で11時までと午後1時の下校時間の日があります。クラスが2つのグループに分かれていて、午前中3時間の日と午後まで5時間の日が順番に入れ替わって週20時間となります。現在、日本では2年生は25時間が平成23年度の新課程からは26時間となり、両国を比べると時間数が異なります。
学校施設のスペースに対して生徒数が少ないためか、毎日の授業時間さえも、ゆったりと流れているように感じました。次の授業までの合間に先生方は職員室に集い、業務連絡や生徒の様子などを交換し合います。少し長い25分の休み時間は、校庭の樹木になる実や果実を食べながらコーヒー・ブレイクとなります。時々は深刻な話題にもなるのですが、先生同士のコミュニケーションが深い信頼関係の上に成り立っており、何度訪れても、まるで、穏やかなサロンのような気分で過ごすことができました。
フィンランドの基礎学校の正規の教員は全員が大学院を修了しています。大学生にとっても教員は憧れの職業ですし、現場の先生方も誇りをもって働いています。それは彼らが広い裁量権を持っており、カリキュラム、テストや評価も含めて教授法やクラス運営の実質的な責任者であるからです。
2年生が1週間に学ぶ教科は国語7時間、算数3時間、自然科学、手工芸と美術、体育は各2時間ずつで、音楽、宗教は各1時間ずつです。宗教はこの学校は全員がクリスチャンだそうです。学年が上がると教科数も増えていきます。2年生のリッタ・スヴァラヨーキネン先生の教室へ行くと、算数や国語、手工芸など個別に対応する教科はクラスを半分に分けて指導しており、補助教員もいるので、1人の先生は3・4人を受け持つことになります。
これがいわゆるフィンランドの少人数クラスです。たとえば、算数の時間では、つまずいている所をわかるまで個別指導して、2時間続きの手工芸では縫物やニットをその子の技能に合わせて、とても細やかな指導をしており、どの子も自分のペースで取り組んでいました。国語の授業はアラスカという名前のアライグマの絵本教材を使って、綴りや数の学習ワークブックや塗り絵をします。それに連動してCDで歌を流して、別の機会には人形劇や小物を使って教えるなど物語への愛着と理解を深めています。
廊下には先生手作りの人形も並んでいます | 手前の体育着の袋は2年生が手工芸で作ります |
「アライグマ」の教科書。頭にスカーフの女子が多い | 特別支援が必要な子の席でエイヤ先生が個別指導 |
1年生のタリア・ラヒカイネンキウル先生のクラスでは、教卓の横の窓に近いスペースに写真のような仕切りが立ててあり、そこには特別な支援が必要な子どもの席がありました。その子が休み時間が終わっても教室に戻ってこないので、探しに行くと校庭の岩の陰に隠れて他の子どもと遊んでいたこともありました。その子どもの個性を理解して養護教員の先生も補助しながら、できる範囲で個別に教科指導もしています。また、3~6年生が通うベッケリン校では、校舎内に独立した養護学校のプイストン校があって、専門の先生達が指導にあたっていました。
フィンランドの基礎学校は9学年ですが、希望すると1年間長く通うことができます。最後の学年だけではなくて、同じ学年に留まることも可能です。10年生になっても全部の科目を履修するのではなくて、苦手だった科目だけを勉強して、その間にゆっくり先のことを考える時間ができます。これは伝統的な制度で、とても自由でリラックスできる期間であると語る人が多いようです。
休み時間は15分、25分と長いので、「休み時間のルール」のポスターが壁に貼られていました。「授業が終わったら、外へ行きます。廊下は走らないで静かにゆっくり歩きます。校庭では木や塀には登りません。サッカーは決まったグラウンドでします。ベルが鳴ったら教室にすぐに戻ります。下校の時は塀を登らず校門から帰ります」と書かれています。
昼食は10時15分からスタート |
給食は10時15分から食堂に行ってバイキング方式で、自分で好きな量を皿に取っていただきます。ある日のメニューは「ヨーグルト、ブラウンライス、チキンボールのクリーム・ソース煮とトマト、バターを塗ったクラッカー」でした。他の日も煮野菜にソースや果物のピューレが添えられて、肉類にライ麦系のパンや胚芽米というバリエーションが多かったです。少人数の学校や保育所の調理室では、おいしそうな雑穀パンを手作りしているところもありました。
☆自然の中に点在する学童施設と保育所
丘の上にある学童保育施設 | カリオラン保育所の園庭 |
学校は11時、もしくは午後1時には終わるので、帰宅しない1・2年生の子ども達は、近くの学童保育へ行きます。学校からほど近い丘の上にある教会から借りている学童保育施設に移動します。ここには、常勤が2人で、1人か2人の補助教員が授業後に来ますが、子どもの人数は日によって異なり18~25人です。保育費は夕方5時までで1か月契約は80ユーロですが、1日払いは8ユーロになるとか。子ども達は到着後、予め用意してあった軽い食事やおやつを食べて、その後お昼寝をする子もいれば、建物の中や外で思い思いに遊んで過ごしていました。
学校の宿題は基本的にほとんどないのですが、学校で終わらなかった場合は、保護者から要請があれば、ここでさせる時もあるそうです。学童保育を利用している保護者は、「ここは、自宅でくつろいでいるようで第2の家のような存在です。子どもには兄弟のような友だちができるし、コンピュータ・ゲームをしないし、親は安心しています」と語り、以前に通った経験がある高学年の子ども達は古巣のような感じで懐かしそうにどんな遊びをしたかを話してくれました。
この学校では、郊外に住んでいて30㎞も離れた距離から通学している子ども達もいます。そのため学校はタクシー会社と契約をして送り迎えをしてもらっています。フィンランドでは、地方の学校で子どもの家が遠い場合には、ここのようにタクシーで最寄りのバス停まで送迎の契約をしているケースは多くあるようです。この学童保育には1人いて2時にお迎えに来ていました。
学校の近くにあるカリオラン保育所は1974年に開設されて、1992年からプリスクール・クラスも開始されました。ですから、この保育所と小学校は連携しているわけです。他の国でもプリスクールは保育所の中にあったり、小学校の敷地内の別棟にあったり同じ建物にあったりと様々です。ここはクラスの所属自体は小学校で、来期には全員が小学校の建物へと移動すると園長は話していました。
受託時間は親の勤務時間に合わせて6時から17時15分までの間です。園児数が全員で25人という小規模ですが、7時30分には朝食を園で食べる子ども達は登園しており、8時になると、プリスクールの子ども達は隣の建物へ移動していました。11時の昼食の後は昼寝で2時のおやつの時間から午後のプログラムになります。音楽・運動の他に読み聞かせと工作やお絵描き、粘土や美術制作に力を入れていました。
園や学校の費用は無償と聞いていたフィンランドですが、2008年8月1日から保育料が改訂施行されました。ここでは保育時間と親の収入によって異なります。一番高額の年少児で233ユーロ、次の子は210ユーロ、3人目は20%と減額されていき、収入に合わせて無償の場合もあります。
33年のキャリアをもつリィータ・ヘウルネ園長先生は、「この土地に住んでいる長所は自然に恵まれた環境が教えてくれることが沢山あることです。ですから、1年を通してできるだけ外遊びをさせて、自然の静けさや偉大さに身をゆだねることが、子ども達が大きくなったときに体の一部を形作ってくれると思って大事にしています」と語っていました。これからの季節には、スキーやスケートのウインタースポーツができるのが雪国ならではの楽しみでしょう。
☆子どもの個性に沿った教育の進度
2000年から3年ごとに15歳児を対象に行われている「PISA:学習到達度問題」の国際比較テストでは、「読解力、数学リテラシー、科学的リテラシー」の3つの領域において、フィンランドが毎回上位1位から3位を占めることが多く、時系列に見ても日本は上位から下降を辿っているのに比べて、フィンランドは常に上昇安定していることが特徴的な結果でした。
その影響を受けて世界中から大勢の教育関係者の「フィンランド詣で」が続き、2003年度に数学を担当したユヴァスキュラ大学教育研究所のペッカ・クパリ先生から伺った話では、直後の2005年だけでも35か国・1,200人の訪問者があったそうです。日本からも昨年までに200人以上が「フィンランドの教育力」を学びに彼らの研究所へと足を運んだようです。
そこで、実際に私が都会や地方の基礎学校(7~15歳)のクラスでの参与観察や先生、保護者、生徒自身に尋ねて実感したことをご紹介します。まず、「少人数クラスでの個対応による指導」が子ども一人ひとりの特性を育てる大きな要因です。つぎに、「地方自治体・学校が連携して、教員が広範囲の裁量権をもてる環境構造」がクラス運営や学習指導に生きていることでした。3番目には、統合教育を含めて「能力別編成クラスをしないで、平均的にボトムアップする」ためのきめ細かな教育実践をしていたことです。
7年生に英語とフランス語を教えているメイペエ先生 |
ところで、フィンランドでも子ども達の本離れは深刻な問題のようです。7~9年生が通うカンカイステン校で国語を担当するカトリ・プールネン先生は、「7年生を学期の最初に、男女混合でクラスを3つの小グループにして図書館へ連れて行き、個人的に本を3冊選ばせます。推理小説や自分が興味をもった分野の本を読んで発表や説明をさせたりしますが、読書だけではなくて、語彙力や理解力を深める教授法をいろいろ研究しています」と、授業も生徒に考えさせるダイナミックな教授法を行っていました。
全部の学校の総校長をしているミカ・フォーヴィネ先生も「本に慣れ親しむには図書館司書が沢山のヒントを与えてくれて、その司書達は横のネットワークで専門情報を交換している」、「子どもが自主的に予習や復習をする学習意欲はどのように動機づけていくと良いのかは、やはりグループワークの学習効果は高い」と指摘します。さらに「基本は2004年コア・カリキュラムに則っていますが、月曜午後の教員会議で実際の運営プランは教員が決めて実践しています」、「どの子も大切で、いつもどのようにするとその子が学校で生き生きと学んでくれるかを考えています」と自信をもって話していました。
また、1年生の担任をしているタリア先生のお話では、「学校はあくまでもコミュニティが基盤ですので、保護者会も親とお話するという立場と一緒に学校を運営している同士で連絡をし合う両側面があります。保護者会では、子ども達の毎日の様子や規則、イベントの説明の他に、学校の教育方針を理解支援していただけるようにお話します。資金源にもなるバザーのお菓子作りや広報など積極的に参画してくれてとても協力的です」とのことでした。
さらに、カンガスニーミでは、行政の教育部門の総責任者であるピリオ・トイヴォさんにお会いしました。「学校は地方自治体が予算の40%、地域コミュニティが60%で運営しています。私はスウェーデンからフィンランドへ来て何十年も経ちましたが、この間にフィンランドの教育システムも大きく変化してきました。スウェーデンのように私立学校を増やすのではなくて、子ども達は自分が住む社会の価値を知るためにも、異なった背景や能力をもつ子ども達が共生する公立学校が果たす役割は大きい」と力説して、「この町は自然には恵まれていい環境ですが、子どもが少なくなって人口比が高齢化しているので、今後は他の国の子ども達とも交流事業も行っていきたい」と近い将来へのビジョンをお話になっていました。
ところで、PISAの研究チームであるユヴァスキュラ大学のペッカ・クパリ先生は「今後の課題」について、「今までの能力別編成クラスをしない方向と反対になるが、高い資質をもつ生徒の可能性を伸ばす教育や多文化な移民の子ども達の増加に対する特別教育支援など、個別対応という形で個性を伸ばすことや特殊な事情を配慮していくことが必要とされていると思う」と述べていました。 さらには、フィンランドでは、PISAの成果で近年は世界中から注目を集めていますが、大幅に教育制度を変換するのではなくて、そのつど、良い結果が出た方法を強化して続けており、時代に合わせて特化するテーマを決めると、学校レベルで独自に実践してくれる教育力があると現場の先生への強い信頼感や期待を寄せていました。
☆りんごジュースができるまで
カンガスニーミで泊めてもらった友人宅では、仕事がオフの日には本格的な家庭菜園に精を出していました。子どもにも大事な役割があり、多忙な仕事や学校と私生活の切り替えを上手に家族で分担する1週間の生活リズムができているようでした。ちょうど私が夜遅く到着した翌日には、大量のりんごでジュースを作りに農園へ行く予定でしたので、早速、私も便乗同行させてもらいました。
彼らの家には大きな蒸し器のような形をした果実絞り器もありましたが、家族で10本以上のりんごの樹をゆすって落ちた果実の総重量はなんと200㎏以上。それをりんごジュースにするのには、郊外の果樹園の機械を借りて作ることになりました。
りんごだけではなくて、りんご本体についている小さな葉も軸も芯も虫も全部一緒に、写真の粉砕圧縮機の一番上に放り込みます。それが瞬く間に細かく粉砕された後、プレスされてジュースになって出てきます。なんと、80リットルのジュースが数十分後には完成です。希望すると約80℃で高温殺菌もできますが、友人宅ではすぐに飲む分以外は冷凍保存するので、その必要はありません。その後、毎日このジュースをおいしく飲むことができました。
大きなじょうごの中にりんごを入れて粉砕します | プレスして果汁を搾ります。粉砕時すごい音のため作業中、耳あて必須 |
ところで、いろいろな国の園や学校で、おやつとして果物は定番で登場します。また、りんごや梨の皮はもちろんのこと、芯も種も全部食べて「じく」しか残さないという食べ方も多く見かけました。それは、栄養面や経済的配慮であるなどさまざまな食の習慣からきているのでしょう。同じ果物、野菜や肉、魚でも社会や民族、居住地域、宗教によっては、異なった食べ方があるものです。
そして、どれもその土地に根づいている食文化や保存の方法、食べ方を通して代々長く伝わる「食の知恵」を実感しながら教えられることが多いように思います。