【第28回】オーストラリアの「多機能アボリジニ児童サービス」

執筆者: 山岡 テイ (情報教育研究所所長)

アボリジニの子どものための多機能な保育施設
オーストラリアの先住民というと、一般的には「アボリジニ」がすぐに思い出されますが、トレス海峡諸島の出身者も含めた総称として用いられることもあります。しかし、オーストラリアの公的な文章には歴史的な経緯を踏まえて、「先住民」としては「アボリジニおよびトレス海峡諸島民(ATSI)」と両方が表記されています。

また、2008年2月13日の連邦議会でケビン・ラッド首相は、先住民アボリジニに対する過去の児童隔離政策に対して“ソーリィ(sorry)”という謝罪の言葉を用いて演説を行いました。これは、その後も大きな反響を呼び、多文化国家としてのオーストラリアの先住民政策の新たな幕開けを感じさせました。

アボリジニの人口は過去に減少の一途を辿りましたが、その後の保護政策によって徐々に回復して、昨年度のオーストラリア統計局の発表によると、先住民の総人口は517,043人と推定され、オーストラリアの総人口の2.5%を占めています。その内訳として、アボリジニの比率は463,706人で89.7%、トレス海峡諸島民は33,267人で6.4%、その両方に属するのが20,070人で3.9%でした。

先住民の人口の年齢構成比を見ますと、他のオーストラリア人に比べて10代以下の年少者が多いことが特徴です。非先住民のオーストラリア人の平均年齢は37.0歳に対して、先住民は21.0歳でした。そして、もっとも多く先住民の29.5%が居住する地域はニュー・サウス・ウェールズ州です。

ニュー・サウス・ウェールズ州(以下NSWと省略)にはオーストラリア総人口のおよそ3分の1が住み、シドニー市に州人口の3分の2が集中しています。しかしながら、海岸沿いの都市部から離れて内陸に入ると、『第27回のオーストラリアの遠隔地での移動保育所』が巡回するような人口過疎地が延々と広がっています。
今回はNSWに12ある多機能アボリジニ児童サービス(MACS:Multifunctional Aboriginal Children’s Service)から2つの施設をご紹介します。

MACSは、主としてアボリジニの子ども達を対象にした保育施設ですが、現時点でのアボリジニの家族が置かれている社会経済的な背景を考慮して、彼らが地域コミュニティで健全な子育てが営まれるように、さまざまな視点から支援する活動をも担っています。

子育ての担い手としての地域での役割
タウリMACSセンターは、NPO組織で連邦政府や州政府のガイドラインに沿って運営しています。この保育所へは何度か訪れていますが、非アボリジニのダイアン・フレーザー所長以外は、15年勤務しているアマンダ先生はじめ他の教職員のほとんどが先住民にルーツをもっています。

現在は「Gindhaay:ギンハイ」の0-3歳児クラスと「Winanggaay: ウィンネガイ」の3-5歳児クラスにそれぞれ20人ずつの子ども達が通っています。それぞれのクラス名はアボリジニの言葉でGindhaayは「笑い遊ぶ」で、Winanggaayは「考えて理解すること」を意味しています。

アボリジニの保育施設を訪れますと、まず、最初に目を引くのはアボリジニの民族旗です。あたかも赤い大地に黒い空のように、上下に黒と赤の2色で分かれており、その中央に丸い黄色の太陽が位置しています。何万年も前からオーストラリアに先住していた彼らの民族旗ができたのは1971年です。それもまさしく彼らの歩んできた歴史的変化を象徴していると思いながら、毎回この旗を見上げます。

あちこちにアボリジナル・アート

施設に一歩足を踏み入れると、アボリジニ芸術の宝庫のように、壁やドア、あらゆる空間にアボリジニの美術工芸品が展示されています。現在、このセンターでは80家族から1日40人の子どもを受託しています。待機児童も多く、最大でも1人が週に3日までで毎日通える子はいません。その内、アボリジニの家族は75%で、里親が10%、その他はさまざまな事情で預けている家庭があるようです。先生は有資格者が4人、補助保育者やスタッフをすべて含めると全部で12人です。

以前ここを訪れたときに、ダイアン所長から伺った話では、この地域には刑務所があり、そこに服役中の受刑者へ遠くから面会に来る家族の子どもを短期間だけ預かることもあるそうです。そのような事情の人達の中には、突然、明日から来なくなったりすることもあるために、どこのMACSでも、「入所の案内書」には登録の決まりごとや止めるときの詳細が何ページにもわたって書かれています。
「予期せぬことがよく起きるので、いつもたくさんの書類づくりに追われています。でも、さまざまな事情がある家族の子どもにも施設を活用してもらいたいし、それが地域でも必要とされています」と、ここで9年勤務しているダイアン所長は話していました。

保育料は1日10ドルで、最低5日分を前払します。この中に昼食や2回のおやつ、教材費などすべてが含まれています。しかし、低所得の場合には10ドルの半分以下や5分の1以下の保育料になっている家庭もあるようです。朝8時半から夕方4時半までが受託時間で、一年間で通算すると祭日を除く48週です。

現在は学童保育をしていないようですが、調理師のミッチェルさんは、「子ども達は給食をとても楽しみにしていますよ。小学校に上がる前、早い時期ほど良い食生活習慣が身につきやすいことを0歳から小学生までの子ども達を観てきて実感しています。栄養バランスを考えた料理を食べて好き嫌いのない子に育ってほしい」というのが彼女の調理ポリシーです。

子どもの表現力や創造性を育成する
今回は朝にセンターから子ども達をお迎えに行くバスに2人の先生と一緒に乗って回りました。 1回のルートではとても全地域はカバーできませんので、何度かに分けて車を持っていない家を 回ります。家族には8時半までには子どもが出かけられるように準備をしているようにと約束しています。この日は第2回目の巡回の9時過ぎ出発のバスに乗りました。ともかく各家庭が点在していており、その間が遠く離れています。

この日は午後に遠足があったためか、4人のお迎えのところ不参加が2人で最終的に2人を乗せてセンターに戻ったのは1時間後でした。バスで園児を預かるときには、必ず家族に出席シートにサインをしてもらい、遠足や行事のときにはその許可書にもサインが必要です。今日は「クレージィ・ハット・ディ」というイベントの日で、家で手作りした帽子を嬉しそうにかぶってバスに乗り込んでくる子もいました。

朝も何回か巡回する送迎バス

「Crazy Hat Day(Week)」は他の園でも広く実施しており、新聞でも報道されていましたが、おもしろい帽子を子どもや先生もかぶり、その日はゲームやお楽しみが待っています。親は園をとおして任意で寄付を行います。病気の子ども達への寄付のときもあれば、今年はビクトリア州の山火事への義援金になりました。お知らせの用紙には「クレージーハットで寄付と微笑みを!」と書かれていた園もありました。

タウリMACSセンターの保育の特徴としては、創造性や表現力を絵画や工作など美術活動をとおして育てることが掲げられています。毎回訪れるたびに、子ども達は園で過ごす多くの時間を教室の内外で自由に絵を描き、いろいろな制作をしています。それを先生が子どもの個性や発達に合わせて、ていねいに個別指導しています。今日は「クレイジィ・ハット」を家で親と作れなかった子達が先生と一緒に作り、すでに作ってきた子はそれをかぶって、他の制作や遊びをしていました。

ところで、このセンターでは、午後はアマンダ先生の父親がボランティアで地域の消防団員をしているので、お昼寝のあとに園児達と先生はバスに乗って、消防車見学へ行きました。みんな大興奮で、遊園地やゲームコーナーなどにある消防車の運転席に乗って、道路を運転しているような再現体験を楽しみました。さらに、特別に本物の消防車の運転助手席にも一人ずつ乗せてもらうこともできてどの子も大喜びでした。

パスタと肉と野菜料理にスイカ 順番に本物の消防車にも乗ります

多文化主義を日々の保育実践に生かす
カウラにあるヤルビリンヤ・ボーリィMACSは、1987年に設立された多機能なアボリジニ児童サービスです。現在は朝8時半から夕方の5時まで一日39人の子ども達を50家族から受託しています。子ども達の年令は0-2歳未満が5人以下で、2-3歳児が10人、3-6歳が24人という構成です。先生はコーディネーターや有資格者を含めて6人で、非常勤の先生や教育実習生もいます。他にも調理師、バスの運転手さんなどスタッフは全部で15人です。

ここは園からおよそ50Km圏内に居住する家庭から通園バスで子ども達を送迎しています。子ども達のお迎えは9時から10時の間で、帰りは3時から4時の間です。現在の通園児の90%がアボリジニですが、6か月の乳児を連れたカンボジア系のお母さんにも会いました。彼女はオーストラリアに住んで12年になるそうですが、安心して子どもを預けられる保育所の雰囲気をとても気に入っているようです。また、軽度の発達障がいなど特別な支援が必要な子ども達も6人います。

このセンターは、コーディネーターのカロライン先生をはじめとしてアボリジニ系の先生やスタッフが中心です。また、オーストラリア連邦政府のデータによると、全国のMACSで働くスタッフの70%が先住民出身ですが、子どもの送迎にくる両親の肌や髪の色はバラエティに富んでおり、混血が多く親の職業や経済状況など社会的背景もさまざまということです。

この保育所の入所資格には5段階の優先順位があります。1番目はアボリジニの子どもが最優先。2番目はひとり親か両親がいても共働きや求職中か将来のために勉強をしている家庭の子ども。3番目は子どもや親が障碍をもっている場合。4番目は虐待や育児放棄の危険性がある場合。そして、5番目は未就学児やひとり親家庭の子どもというような条件の順になっています。

教育方針の哲学として19項目が掲げられていますが、その筆頭に「アボリジニ文化を認めて尊敬し、毎日のプログラムの中にそのことを反映させる」とか「性差、年齢、人種、宗教、言語、能力、文化や国籍を問わず子ども達を尊重することを、私達は幼児教育の専門家として実行する」というような多文化主義を打ち出しています。

アボリジニの文化や芸術に誇りをもつ
子ども達は日本の保育所のように毎日通ってくるわけではなくて、個人的に週に何回来るかという契約をします。先にご紹介したタウリのMACSセンターと同様に、このセンターも保育料は1日10ドルです。保育料項目の注意書きとして、延滞金や催促状に関することや、また、無断で2週間欠席すると在籍資格がなくなることなどが細かく述べられていました。

保護者の園への参画については、とくに園の運営基金調達に関してや新しく入園するときには子どもが慣れるまでは、段階を追って親が園に留まり一緒に過ごすことを呼びかけています。  訪問した日には孫の面倒をみているおじいちゃんがずっとクラスにいて、自分の孫だけではなくて他の子ども達とも遊んでいました。

おじいちゃんとソファで読書 壁面に子ども達の作品を飾って

この園では先生方が「レッジョ・エミリア」の研究会に参加して、プロジェクト・アプローチによる教育方法を展開していました。とくに、園の壁やあらゆるスペースに展示されたアボリジナル・アートの表現法としてもこの理論を導入している様子でした。動物の内部を克明に描くアボリジニの絵画表現とレッジョの手法がマッチしているように感じました。

ここでも子ども達は園で過ごす多くの時間を、絵画や工作などの制作を通して表現力を養い、そのことでアボリジニの文化や芸術を自然なかたちで理解して身につけていくようです。

天井近くに子ども達のブーメラン 難聴に至る中耳炎治療の告知が目立つ

カロライン先生は、園舎の奥にある広い敷地を案内してくれて、「これからこの土地を利用して地域のコミュニティ・センターを建設することになっています。ここがアボリジニの家族の拠り所になるように、いろいろな企画を実施していくのを楽しみにしています」と目を輝かせて話していました。

他の園や保育所に比べてMACSで感じる共通項があります。それは子ども達の表情が朝登園してくるときは、暗い表情や厳しい顔をしている子もいますが、遊んでいるうちにしだいに生き生きとしてきます。子どもは心の中や家庭での状況が顔の表情や態度に素直に表れてくるからでしょう。それはどこの園でもあることですが、MACSでは、とくに、その態度変容が顕著なために保育力というか保育所の力動性を教えられます。

もう一つは、MACSから家庭への案内書がとても分厚いことです。とくに、初めて入所する子どもがセンターに慣れてやっていけるための具体的な方法が、過去の経験をとおして細かく記載されていることです。それだけ、短期間に出入りする子ども達が多いということでもあります。

今回ご紹介したMACSでの保育者の先生方は、先住民だけではなくて地域で多様な背景をもつ家族の子ども達を保育しながら家族支援を日々実践しており、多文化な子育ての重要な担い手であることを実感しました。

園庭には日差しよけの大きなテント 左奥がコミュニティセンター予定地

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