【第23回】台北市の日本にゆかりのある幼稚園や児童館

執筆者: 山岡 テイ (情報教育研究所所長)

東アジアの中でも特に台湾は親日家が多く、また、日本の教育を直接に受けた世代ではなくても、近年は「哈日族(ハーリーズゥ)」と呼ばれる日本の流行や文化に親しみをもつ若い世代も増えています。
今回は、園の基軸になる先生がたの個人的な在日経験が園活動の中で生かされて、独自の幼児教育を実践している幼稚園や児童館活動をご紹介します。

懐かしい日本の幼児教育を原点にもつ榮星幼稚園
台北市の大同区歸綏街にある榮星幼稚園の正門に立つと、そこには歴史を刻む立派な洋館がそびえ立っていました。
1963年8月に幼稚園施設となったこの建造物は1920年ごろに建設されており、もともとは辜偉甫ファミリーの邸宅であり社屋でもありました。

訪問時には、その辜偉甫先生のお孫さんである曽陳奕奕主任先生と李常緑園長先生が最初に施設を案内してくださいました。

大きなホール、高い天井に広い階段などが重厚で落ち着いた雰囲気を醸し出しており、一般的な幼稚園の施設とは趣が異なっている建築構造です。一部は手を加えて工夫しながらもじょうずに生かして使われている様子でした。

建物のすぐ近くには淡水河があり、昔は堤防もなくその周辺で働き住んでいた家族の子ども達は安全を求めて、この大きな家の前庭に集まっては遊んでいたとか。その様子を見て、いつでも安心して遊べて教育もできる施設をとの思いが幼稚園を設立するきっかけになりました。

この家屋の持ち主であった辜先生はご自身が幼少時に体験した幼稚園生活の楽しさを近隣の子ども達にもと思い立ち、戦後に日本留学から戻った曽陳奕奕先生を含む親族や台湾の師範学校の卒業生とともに開園したとのことです。

園の教育方針の中でも特徴的なのは「生活即教育」です。毎日の園での生活をとおして、生活習慣を身につけていき自立心を養っていきます。子ども達は野菜や花、昆虫などを育てながら四季の移り変わりを学んでいく「自然教育」にも力を入れています。

いろいろな国の園を訪ねますと、多くの幼稚園や保育所には野菜畑やお花畑があり、小動物や昆虫を飼っています。でも、この幼稚園は親子で栽培している家庭菜園のような手入れの行き届いた規模で栽培しており先生と子ども達の愛情を感じました。

曽先生ご自身は戦前に東京の自由学園で学んだ経験を生かして、長年にわたって園長先生方とともに手作りの「美術教育」や特徴ある「音楽教育」にも携わってきました。
そのためか、園全体が日本の幼児教育の古き良き原点にも通じているようで、とても居心地の良い懐かしい感じに包まれました。
資料室には、日本から購入した見慣れた教材や資料、教具が台湾製のものと混在していました。

その中には、先生方が一枚一枚ていねいに手作りで描かれたすばらしい教材も多くあって、つい見とれてしまいました。 

働く母親のために全日クラスや預かり保育も
一日のスケジュールは、9時から11時半までが半日クラスで、8時から登園が可能です。9時半から始まる午前中のプログラムは、クラスごとに自然・音楽・美術・語学・健康・数の遊びなど、それぞれのテーマに基づく教育活動です。おやつの時間の後は屋外での活動になります。

全日クラスは11時半からがお昼ごはんで、そのあと軽い体操やお手洗いなどを終えて12時半から14時半まではお昼寝の時間です。お昼寝をしないでお絵かきをしている年長児もいました。お昼寝から起きたら、午後のおやつの時間が待っています。

14時50分から1時間くらいは外や室内でのさまざまな自然探索の時間です。各コーナーや自然教育の視聴覚教材や資料を用いて遊びながら熱心に学んでいました。
16時少し前には、園庭に全員が集合して係りの子ども達が国旗の降納をしてから降園になります。その後も希望者には18時までの預かり保育も行っていました。

クラス構成は小班(年少)とその下の小々班が各1クラス、中班(年中)と大班(年長)が各2クラスです。過去には300名を越えた時期もありましたが、近年はおおむね100名前後で現在は94名の子ども達が通っており、14名の教員がいました。

榮星幼稚園では「1週間のうち1日は台湾語にしましょう」と水曜日は「台湾語の日」に決めています。北京語(中国の共通語)ではなくて台湾語を教えて、子ども達が自然に台湾語に慣れ親しむようにしています。家庭では若い親達は台湾語を祖父母の世代のようには身についていないので、園が率先して教育しているそうです。

日本の統治下に育った曽陳奕奕先生がご自分の経験を踏まえて、「子ども達には、大きくなったら一度は海外へ出て生活してもらいたい」と言われていました。それは自分自身や自分の国を客観的にとらえることができるからです。そして、「台湾人なので台湾語を小さい時から忘れずに習得してほしい」と美しい流暢な日本語で語られていたのがとても印象的でした。

中日バイリンガル教育の博如日本幼児園・児童館 (※)
海外に住む子ども連れの在外邦人家族が年々増えています。いろいろな国の中でも、とくに企業関係者が多い都市部では日本人の子どもを対象にした日本人や現地の人による幼稚園が開設されています。

台北市には、東京で12年間の看護師(助産師)として働きながら大学では教育学を専攻した台湾人の王妙涓園長先生が1990年に設立した日本語と中国語のバイリンガル幼児園と児童館があります。園長先生の夫は日本人の小口哲生先生、同じく日本の大学を卒業したお嬢さん、妹である書道や水墨画の王妙貝先生をはじめとする、大家族的で活気に満ちた雰囲気の園です。

王園長先生は「20年近くバイリンガルな幼稚園をしていますが、子ども達は遊びをとおして楽しく無理なく外国語を身につけていっています」また、「一番大事にしていることは子ども達と保護者も一緒になって季節ごとの行事を楽しんでもらうことです」と語るように、毎月なにかしらの園内行事と家族参加行事、懇談会や保育参観が年間計画として盛り込まれています。

訪問時には2つの園を合わせて園児は150名でした。16人の教員中7人が日本人で園児の8割は日本人です。その他は台湾、アメリカ、ベルギー、カナダなど多文化な子どもが通っています。どのクラスに行っても子ども達の笑い声がにぎやかで、毎日のように行事が目白押しという感じです。その中でも、子ども達が全員モデルになって出演するファションショーは、舞台度胸がつく子ども達がお気に入りのイベントのひとつだそうです。

保護者の多様なニーズに応えるプログラム
一日のスケジュールは朝8時から9時までには登園して朝会でスタートします。9時半ごろから11時半ごろまでは学年によって異なりますが、基本的には英語教室、音楽教室、体操、生け花教室、和太鼓、生活指導(生活マナーのしつけで、たとえば、お箸の使い方、トイレスリッパの揃え方、おもちゃの片付け方など)など盛り沢山です。

11時半前後が給食時間ですが、13時40分からの午後のプログラム開始までのお昼の間にも「課外教室」と呼ばれる「バレエ、スイミング、サッカー、お絵描き、中国語、日本語、器械体操、コンピュータ」などを習うことができます。午後も14時20分までは遊びを中心にした日本語や中国語、紙芝居、粘土遊び、劇遊びなどが日替わりのプログラムで、15時に降園の準備をしてバスで帰宅します。
15時過ぎからも希望者には英語、ヒップホップのジャズダンス、和太鼓、柔道、ピアノなどの課外教室が用意されています。サッカーの対抗試合や発表会もあります。園の施設は台北市士林区の中に幼児園が2か所あり、1か所に児童館が隣接しています。
さらに、小学生の学童保育も行っています。時間割りは14時50分からは小学生が学校の宿題をしています。それらと並行した15時10分~16時10分の時間帯には別の場所で園児達のスポーツや書道・語学教室も開かれています。

4時からはおやつの時間。4時20分から5時20分までは、和太鼓や書道・英語・国語や算数が習えます。その後も延長保育を希望する場合には7時まで残って勉強をしたり遊んだりしていました。夕方以降なると、「博如児童館」という名称どおり、園児から小学生までの子ども達の「学童クラブ」という感じの賑わいでした。

たくさんのプログラムや教室、行事を提供していることを王園長先生は「子どもは一人ひとり個性が違うので、積極的な子がいれば、大勢の中に入りきれない子もいます。でも、たとえば、年少のときからそれぞれが“生け花”を自分なりに工夫しながら活けていくことで、達成感を得て創造力を伸ばせます」とさまざまな環境や選択肢を用意することが大事と語っています。

また、現在は「和太鼓」に力を入れています。「太鼓はすごい震動力があるのに、子ども達はその音や震動の中でも安心して寝付いてしまう不思議な魅力があります」と、日本の研修会に参加したり、台湾太鼓協会を設立したりと熱く和太鼓の魅力について語っていました。

(※)「幼児園」は「幼託整合」で「幼稚園と託児所」が一体化した施設で2歳児から6歳児が通います。また、この「児童館」とは日本の公的な「児童館」とは異なり、保育所・幼稚園・学堂保育・習い事教室が複合的にセンターのように揃った総合施設の名称として用いられています。

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