【第22回】韓国での伝統文化教育と生態幼児教育プログラム
執筆者: 山岡 テイ (情報教育研究所所長)
韓国では東アジアの他の幼児教育最先端国と同様に、以前から英語やパソコン、知育や芸術教育の早期導入が盛んです。その一方で、多くの保育者や研究者達が、幼児教育の中での「生態環境を生かした伝統文化教育」の重要性を提唱しています。
そこで、今回は韓国の代表的な伝統文化教育や生態教育の事例を幼稚園や教育機関からご紹介します。
☆幼稚園生活をとおして伝統文化教育
「伝統文化教育」を長安大学の方仁玉先生は、「韓国の幼稚園教育課程に見られる伝統文化教育の内容分析」の中で、国が1969年から1998年までに6回制定した幼稚園教育課程の国家レベルと実際の教育現場レベルの「幼稚園教育活動指導資料」(2000)で比較分析しています。
それによると、国の制定では、80年代までは国家を象徴する内容が多く、90年代以降からは、芸術、名節、伝来の童話に領域が広がっていました。そして、実際の園の現場レベルで用いている資料の事例研究では、テーマとして、「私の国と他の国」、「特別な日」、「季節」の順で多く、領域としては、「伝統芸術」、「食生活」、「象徴物と特産品」が頻度の高い順番でした。
伝統芸術の内容を他の領域と対比してみると、「食生活」、「象徴物及び特産物」、「遊び」が多い順でした。 以上の分類にもありますように、「伝統文化教育」の中でも、韓国古来の楽器演奏や舞踊、食生活、遊びの伝承は多くの園で行われています。
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チャンゴ/韓国の伝統楽器チャンゴの練習 | 園内によくある伝統楽器の収納庫 |
さらに、日常の「礼儀作法」をとおして、儒教的な礼節や作法を身につけるプログラムを導入している幼稚園も多いようです。(参照:2005年3月/【第14回】変わりつつある韓国の幼稚園・保育所事情)
そのひとつである釜山市の三益幼稚園では、5歳児に茶道の時間が設けられています。日本の茶道のお手前とは異なりますが、民族服で盛装してお客様にお茶でもてなす心構えを学ぶという印象でした。
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茶道の時間/正装をしてお手前をします |
兪南姫園長は、お茶の時間の目的を、「子ども達は言葉を話さずに、決められた所作を繰り返すことで、落ち着いた静かな時間を過ごすことになります」、「お客様役と主人役を順番にして、感謝の心をこめてお茶で歓迎するのですが、その結果、正しい姿勢や歩き方など、きちんとしたお作法を学ぶことができます」と語っていました。
近年は一般的に多動性傾向の子どもが増えてきたにもかかわらず、決まったお作法で行う茶道には下級生達も関心が高く、園児はハレの場に参加するような期待感で、この時間に臨んでいるようです。
この園は1985年に設立されてから、様々な取り組みや活動を精力的に行っており、教材の大会や優秀教師賞など数多くの賞を得ていました。
現在は9時から午後2時までの半日クラスと、8時から午後6時までの全日クラスの両方で230名の子ども達が通っています。
基幹になっている教育方針は、こどもの自主性を育てて、自然の中で本物に触れて感じる想像力を養うことです。
他の園でも行っている英語やパソコン教育もプロジェクト教育の一環として教えています。たとえば、パソコンは絵本を読んでいて子どもから専門的な質問が出たときに、一緒に百科事典のようにネット上で探して関連情報を具体的に見せるために使います。
また、皆で一斉に食事や手作りおやつを食べる時間のほかに、自分で食べたいときには、自宅のように自由に食べていいおやつコーナーもありました。
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自由に食べられるいりこのおやつ | 手作りよもぎ団子にきなこをかけて |
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子どもたちが積んだ春の山野草 身近な料理例と一緒に展示 |
農家、伝統家屋や世代間の生活の様子も展示 |
現在は一人っ子が増えているので、集団生活の中で、どのように社会性や友達とのかかわりを持っていくかを、まずは、からだと心を統一させることから始めているそうです。
具体的には、月曜日には20分間くらい、子ども自身のからだの軸となる正しい姿勢を作って瞑想の時間をもっています。最初は、先生が、「私のからだは姿勢を正しくしないと、胃腸や肝臓などが叫びます・・・」と言って、それを子ども達が頭の中で繰り返しながら、精神統一を図ります。
基本的習慣は最初が肝心なので、週の初めにこのような瞑想からスタートすることに意味があると兪南姫園長は語っていました。
☆ 保育所での生態幼児教育プログラム
韓国の様々な園で釜山大学校付属保育所の生態幼児教育の評判を聞く機会がありました。
全国各地から幼児教育の関係者が見学に訪れるというこの保育所では、ウエイティング・リストには、常時、大勢の入園希望者が名前を連ねています。
釜山大学校・幼児教育科の林再澤先生が中心となって1995年にスタートした「生態幼児教育」の実験プログラムは、全国に賛同者を拡大していき、2006年には「韓国生態幼児教育学会」が設立されました。
その基本になっている哲学は、安全で健康な有機農法で作物を栽培して食べることができるように、つまり、エコロジカルに子ども・農村・生命を活かす目的から、2002年3月には「生態幼児共同体」が設立されました。
保育者や教員、医師や市民活動家などが保育研修会や事例発表会などをとおして、会員相互の情報交流も盛んに行われているようです。
子育てや保育に携わる人達が、自然の中の一部として生かされていることを意識し始めると、生態系の循環の重要性に目覚めることになります。
今日の給食メニューは、ご飯(もち米)、卵野菜、いわし炒め・白菜キムチなどの他、おやつの時間には、路地物の旬の苺、山羊のミルクなどおいしそうな有機農園からの恵みが並んでいました。
また、保育所のホームページでは、園の行事案内、園児達の活動の様子や今月の給食メニューも公開しています。
http://www.ecochild.or.kr/
保育所の河貞娟園長は、生態幼児教育の実践は、「子どもはそのままで、自然に同化することができます。ただ自然を求めて回帰するということではなくて、人間の本性を探していくことにつながるからです」と説明します。
生態幼児教育理論の提唱者である林再澤先生も、現場で実践する河貞娟先生も、現在の拝物主義な競争社会や環境が子ども達の心やからだを蝕み、魂が病んで弱くなっていることに危機感をもち、幼児教育の世界観のパラダイム転換を試みているようです。
とくに、教育の核になるのは、妊娠中の母親の心や哲学であるとして、妊婦の自然分娩・母乳運動など生命を授かったときから幼児教育が始まるという視点で啓蒙活動をしています。
具体的な園のプログラムとしては、子ども達は外遊びや自然の中への探索・散歩が中心になっています。室内ではオリジナルのからだを使う伝統体操や瞑想プログラム、手先を使った昔ながらの伝承遊びや工作など、見ていると、親自身の子ども時代を懐かしく思い出せるような場面に遭遇します。
それらの遊びをとおして、発達時期に適ったアカデミック・スキルやリサーチ・メソッドを学べるような包括的な教育プログラムになっています。
日本通の河貞娟園長は、子ども達の多文化教育について、「日本人は、もともと森の樹や石にも神が宿るという多神教が理解できるので、マオリやネイティヴ・アメリカンなど先住民達の生活の知恵を探して理解できる国民だ」と語っていました。
さらに、生態幼児教育では、人間の体質を太陽・小陽・太陰・少陰に分類した『四象体質プログラム』など、生命を中心にした自然界の摂理や民俗信仰を実践理論の主柱として取り入れています。
いろいろな園を訪問して、私が楽しみにしていることのひとつは、子ども達が生き生きと遊んでいるときの表情やからだの動きが見られることです。
ここでも、そんな子ども本来がもつ弾むような力動感が溢れる場面に、園の内外で出会うことができて、スタッフ、哲学や環境のすばらしさを物語るのは、なにより目の前の子ども達の姿であると痛感しました。
☆ 韓国式お作法を伝承する「禮智院」
10年近く前に、ソウル市内の幼稚園を訪れたときのことです。ベテランの園長先生が、韓国の伝統文化教育のお話をしてくださったときに、「うちの園では園児を連れて、農家や昔ながらの生活を続けている三世代・四世代の家庭を見学に行きます。それから、祖父母・父親・母親への挨拶やお礼の作法も具体的に教えています」と、おじいさんからお母さんに至るまでの頭を下げる角度の違いを教えてくれました。
たしかに、日本でも、お座敷で年長者にお目にかかると、これ以上は頭が下がらないというくらい深いお礼のご挨拶をし合うことがあります。
そこで、具体的な韓国の礼節やマナーを知りたいと思い、韓国の伝統文化教育を行っているソウル市の社団法人「禮智院」を訪問して、姜映淑院長にお話を伺いました。
姜映淑院長のプロフィールは、1957年から韓国の国営放送局KBS(韓国放送公社)にアナウンサーとして活躍し、1962年には民放のMBCに抜擢されて1982年まで解説委員として、マスメディアや様々な政府の委員会、大学などで要職を歴任してきました。
この間に、1974年に「禮智院」を設立して、すでに2004年には30周年を迎えました。
「禮智院」の設立目的は、
1.韓国の固有な伝統文化を継承させて生活化させることで、国家観の確立と民族的な主体意識を養う。
2.女性の指導力をのばして社会の寄与度を高める。
3.伝統文化を海外に紹介する国家間の理解と親善を図る
など、案内書には「女性教養の殿堂」とあるように壮大な目標を掲げています。
具体的な事業活動としては、民族衣装であるチマチョゴリを着ての立ち振舞いなどの作法(衣装礼節)を教授し、茶道教室、伝統食卓礼節やキムチのゼミナール、国際親善交流など広い範囲に及んでいます。日本との文化交流も30年前から行っています。
訪問した日には、衣装礼節のクラスや1998年から開始されている小学校の先生への3日間の研修会の開会式が行われていました。これは、現在の若い小学校の先生方が、韓国の伝統文化の集中講義を受けて帰り、子ども達に授業で伝統文化教育の一環として教えているそうです。
「日本のテレビでも歌手が和服を着て出演していますが、韓国でもお正月に伝統衣装を着て出ていたタレントが、アレンジして着ているのではなくて、明らかに間違った着方をしていたときは、すぐに、知り合いの文化観光担当者に電話しました」と、正しい伝統文化を多くの人に継承したいという使命感に燃えているエピソードを披露してくれました。
また、お正月やお祭りなど特別な日には、襟を正して迎える挨拶のしかたがあるようです。先ほどの幼稚園での祖父母への挨拶のことを伺うと、目上の人への挨拶も、相手や結婚年数、性差などで、細かく回数も決まっているようです。
女性は両手を重ねるときに右手が上で、親指は重ねる。男性は左手が上ですが、お葬式のときは反対になるそうです。相手が座っているときには、自分も座って額が床につくまで、深く頭を下げるのは誰が考えても丁寧な挨拶だと思われます。
姜映淑院長は、「形骸化した様式を伝えようとしているのではなく、伝統文化の型を学ぶことを通して、家庭教育や社会秩序やルール、忍耐力や思いやりの心を親から子どもへと伝承することができます。さらに、自分の家の文化、国家の文化を知ってこそ、他の国へ行っても自信が持てるのです。」と語っていました。
このとき、釜山大学校付属保育所の河貞娟園長が、幼児教育を食生活に例えて、「200年の歴史が育てて世界に蔓延させたアメリカ式のジャンクフードと5000年の韓国の雑穀・キムチ・大豆製品のもつ伝統的な母親の智恵とは比較にはならない」と言っていたことを思い出しました。
また、2006年1月に、東京学芸大学に客員教授で来日中であったソウル教育大学校の曺孝姙先生に、私が1994年から企画担当をしている国際幼児教育学会の「多文化教育・保育カウンセリング研究会」で、「韓国の伝承遊び歌・幼児芸術教育の視点から」というテーマで報告をしていただきました。http://www.iaece.org/s08.html
韓国音楽学会・会長や幼・初等音楽教育学会・会長を歴任している音楽教育の専門家であり、同時に幼稚園での実践も行っています。http://www.bykinder.com/
彼女は、韓国の様々な伝承遊び歌を紹介したレジュメの最後に、「自分の国の伝統を継承し、民族の個性を生かすには伝統文化に関する教育が大事です。韓国と日本の学校教育でも、子どもに伝統文化を尊重する心を持つように教育しています。これは、自国の固有性を生かした創造的な発想を持たない限り、グローバル社会で競争力を持つことが難しいからです。従って、幼い時から母国の伝統文化を体験し、習うことによって、民族の情緒や生活習慣も尊重され国際的な理解を広げることができます」とまとめていました。
韓国の世代の異なる専門家達が、それぞれの領域やメソッドで、幼児教育の中での伝統文化教育の重要性を提唱し実践していることは、いまの時代性を感じさせられます。